鉄道初日の夜は、車内のスピーカーからの大きめのBGMがうるさく、なかなか寝付けなかった。初めは隣の部屋の人かと思っていたが。
記念写真をとっていたら公安に怒られたが、何を言われているかわからないから怖くない。
車掌さん(多分)から、「もう少しすれば湖が見えるよ!」と言われた。
気付かずとおりすぎた模様。
台車エリアを超えると、線路どうなってんねん、という配線が見れる。

めずらしくカーブしている。この列車は結構長い。

輸送も盛んみたい。個人的に好きな写真。

布団もかけずに寝ていたところ、夜、寒くて目が覚めた。
掛け布団が二段ベッドの二階にあることに気づき、立ち上がるのが面倒で布団をかけずに寝た。
3時と4時に目覚めたときには列車は同じところに停車していた。信号待ちにしては長いのでおそらく、時間調整だと思う。
汚い窓からもわかるくらいに星がきれいだった。
何度か目覚めたが、最終的に6時ころに目覚めた。
後輩のGPSによれば、もう少しで阿拉山口というところにまた停車していた。
窓さえ汚くなければもっとよかったのに。
列車に備え付けの給湯器で、日本から持っていったラーメンご飯にお湯をいれて食べようとしたところ、お湯が人肌程度のぬるさ。
溶けないカレールー。
悲しい思いをしながら朝食を終えた。
列車は、7時半過ぎに国境の駅、阿拉山口についた。
やけに静か。
カザフ人乗務員のすすめ(多分)で、列車を降りて写真を撮っていると、公安っぽいのにとめられた。
記念写真をとっていたら公安に怒られたが、何を言われているかわからないから怖くない。
9時前になって漸く列車内にぞろぞろと公安が。
詳しい手続きは以前の記事参照だが、荷物を全部見せた。
パンツをしまい忘れて、水泳の授業の後みたいに、「このパンツだれの!?」っていうような状況になった。
並結されているアスタナ行きに日本人が一人乗っていたので、少し話をした。
11時ころに漸く列車は出発。
国境の干渉地帯をゆっくりすすんで、いよいよカザフスタンへ。
中国側はたくさん風車があるけれど、カザフスタンは荒れ地が広がるだけ。
鉄路で国境を越えるのは昨年夏のタイラオスに続いて二度目だが、感慨深い。
国境で入国審査が始まる。
麻薬犬がきたり、
一度荷物を開けさせられたり、
旅行目的を聞かれたり簡単な検査があった。
ただ、降りさせられることも厳しいこともなく。
「welcome to カザフスタン」
といわれたときにはほっとした。
11時30分(カザフ時間。北京時間は1時30分)、漸くドルジバの駅に着く。
乗客は全体で20人に満たない程度なのに、出入国に3時間半かかったことになる(と思ったけれど、阿拉山口についてからは6時間かかっているみたいだ。)。
カザフスタンと中国で線路の幅が違うので、台車を付け替える作業に入る。
出入国の間にやっておいてくれよと真剣に思う。
一度降りなければならないから降りるのだけれど、カザフスタンの通貨であるテンゲがない。
見る限り両替商はいなかったし、駅の回りにも何もなかった。
駅の中には売店と、ご飯食べるところが二ヶ所ほど。
テンゲがないと無力。
2時間近く駅のベンチで待機して漸く出発。
ドルジバでたくさんのカザフ人が乗ってきた。
同部屋には誰もおらず。
同部屋には誰もおらず。
台車がたくさんあるところの横を通った。
車掌さん(多分)から、「もう少しすれば湖が見えるよ!」と言われた。
気付かずとおりすぎた模様。
台車エリアを超えると、線路どうなってんねん、という配線が見れる。

めずらしくカーブしている。この列車は結構長い。

輸送も盛んみたい。個人的に好きな写真。

車窓はずーっとカザフステップ。
ウルムチでかった牛肉麺のカップ麺をずるずる。
テンゲがない我々には買い物はできず、しかも言葉も通じないときた。
アスタナ行きとはこの駅でお別れ。
物を食べれない悲しみにくれつつ、うとうとしながら本を読んでいたらゆっくりと夜になった。
何も考えない時間をここでもてたことは、日頃のストレス解消に有意義だった。
弁護士という職業、特にブラックだと仕事に終わりがないしいつも仕事のことを考えさせられる。
個人的に救ってやりたい昔からの友達の事件のための本を持っていって読んでいたけれど、それ以外についてここで考えても無駄だし、日本との連絡はとれないようにWi-Fiも現地SIMも契約していない。
何を言われようが所詮他人事。
カザフスタン時間午後9時、元号が令和にかわる。
やることがないので、令和になった時こんなところでこんなことしてたんだぞ、とSNSで見せびらかすための写真を撮る。
一度眠って、お湯が出ることを確認して、カップヌードルご飯を食べてまた眠る。
アルマトイ1についたよ、という後輩の声。
...夢。全然夜。
それくらい退屈だった。
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